「和華人物」空海之路開創者ー高野山第519世法印靜慈圓(一)

「和華人物」空海之路開創者ー高野山第519世法印靜慈圓(一)

在日本發現中國

發現中國的日本

還記得《妖貓傳》裡的小和尚空海嗎?歷史上的空海法師於延歷二十三年(804年),與最澄法師隨遣唐使入唐學法,於次年(806年)十月回國。空海回國時攜回大量的佛教經典,對此後的日本佛教產生了重大影響。

如今,日本有一位現代遣唐使,沿著當年空海法師在中國走過的求法之路,開創了長達2400公里的“空海之路”,為後人研究空海的事蹟做出了巨大的貢獻。今天,就隨《和華》一起走進這位現代遣唐使靜慈圓的世界吧~

「和華人物」空海之路開創者ー高野山第519世法印靜慈圓(一)

靜慈圓(しずかじえん)

1942 年、徳島県生れ。1974 年、大阪大學大學院中國哲學専攻研究生了。1982 年、日本インド學仏教學會賞受賞。1984 年、「空海・長安への道」訪中団団長として福州(赤岸鎮)から西安(青龍寺)までの2400 キロを踏破。2018−2019 年、高野山真言宗総本山・金剛峰寺第519世寺務検校執行法印。現在、高野山大學名譽教授、高野山清涼院住職、博士(仏教學)。

日本と中國を繋ぐ現代の遣唐使 

高野山第519世法印靜慈圓

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靜慈圓マンダラ

靜慈圓氏の多彩な活動のなかから主だったものを抽出。人間が培ってきた學術や文芸や武道にことのほか関心を持ち、體當たりでそれらを學び修得していったことが分かる。『空海と共に生きる』(はる製作室 2017、P6 より)

「お大師さん」とも呼ばれる靜慈圓氏とは、一體どのような人物だろうか。

1942 年徳島県のお寺に生まれ、高校卒業後は高野山大學に進學、同大學院に進んだ。1990 年に高野山大學の教授に就任し、2010 年、高野山大學の名譽教授となった。2010 〜2017 年、高野山山內の文化財を管理・展示する高野山霊寶館館長も務めた。2018 年、靜慈圓氏は高野山真言宗最高僧位の法印(第519 世)に就任し、弘法大師の名代として重要な儀式をおこなった。

靜氏は高野山真言宗の伝でんとうだいあじゃり統大阿闍梨として多方面で活躍しているが、人間の培ってきた學術や文芸や武道にことのほか関心を持ち、まさに體當たりでそれらを學び、修得していった。

研究面では特に弘法大師の思想研究に力を注いでいる。その成果は『空海密教の源流と展開』(大蔵出版、1994 年)など數々の著書に結実された。また、學問成果のダイナミックな展開として、密教を通じて中國との間に學術文化交流の道を切り開き、さらに実際の道を辿る「空海ロード」を中國に開創するといった功績も見逃すことができない。まさに現代に生きる空海のような人物で、現代の「遣唐使」である。

空海が日本に伝えた唐代密教は、中國からは消滅したものの、日本において栄えて今日に至る。唐代密教復興には第一に思想(教學)、第二に密教道場の建設と阿闍梨の養成が肝要だと靜氏は考えている。中國の江蘇省揚州の大明寺は鑑真が住職として滯在したお寺として日本でも有名である。大明寺の中には「鑑真學院」があり、その中に「密みつごんいん厳院」がある。この建物は、密教の修行者養成の道場である。靜氏が玄関に「密厳院」の扁額の字を書き、その一室に「靜慈圓真言密教研究室」を作った。大明寺の住職・能修方丈は、現代中國の密教の危機を懸念し、自分の弟子である仁如法師を高野山に送り込んだ。仁如法師は靜慈圓氏の弟子となり、専修學院を卒業、阿闍梨となり大明寺に帰った。能修方丈も高野山で修行、學修灌頂を受け、阿闍梨となった。

もう一人高野山で修行した人物がいる。それは805年に空海が恵けいか果から密教の法燈を継承した陝西省西安市青龍寺の住職寛かんぎょく旭方丈だ。寛旭方丈は靜氏とは15年にわたる親友で、高野山で密教の法燈を受けることを決心した。靜氏の協力の下、2016 年、寛旭方丈は金剛峰寺で得度し、四度加行( 密教の修行) をし、灌頂を終え、密教を中國へ持ち帰った。

靜氏は書家としても存在感を放っている。2008年10 月、靜氏が書いた空海の碑が書聖王羲之の墓塔のそばに建立されたのも、書家としての実績だけではなく、これまで日中交流に果たしてきた功績が評価された証である。2014年11月、靜氏は、中國で最も有名な文化団體である「西泠印社」の名譽社員となった。

靜氏は弘法大師の伝統を受け継いだ多才な伝燈大阿闍梨であり、現代の曼荼羅感覚を持つ人物といえる。多方面に活躍する「現代の遣唐使」、靜氏の軌跡を辿ってみよう。

靜慈圓仏畫作品

「和華人物」空海之路開創者ー高野山第519世法印靜慈圓(一)

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「大日如來(金剛界)」

靜慈圓の筆による密教の本尊・大日如來の仏畫。大日如來は宇宙の真理、宇宙そのものとされる仏。左手の人差し指を立て、右手で包み込む印(手の形)を智ち 拳けん印いんという。金剛界大日如來の特徴である。

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「金剛界曼荼羅」

金剛界曼荼羅は、九く會え曼荼羅とも呼ばれる、9つに等分された曼荼羅である。會えとは集會、仏ほとけの集合のこと。つまり各會それぞれが獨立した1つの曼荼羅となる。

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「胎藏界曼荼羅」

曼荼羅のなかでも、各仏ぶっ尊そんを象徴する梵ぼん字じ(種しゅ子じ )で描いたものを種子曼荼羅と呼ぶ。胎蔵界曼荼羅は、密教の本尊・大だい日にち如にょ來らいを主尊とする「中ちゅう臺だい八はち葉よう院いん」を中心に、周囲に寶ほう幢どう如來・開かい敷ふ華け王おう如來などの如來、普ふ 賢げん菩ぼ 薩さつや観かん自じ 在ざい菩薩などの菩薩、明みょう王おう等を配置し、大日如來の教えが菩薩等の実踐によって広がっていくさまを表している。

靜慈圓書作品

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「南無阿彌陀仏(梵字)」 「澹虛」

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「般若心経」

書聖・王羲之の墓塔隣に建立

靜慈圓の碑文による空海顕彰碑

2008年10月、靜慈圓氏が書聖・王羲之の墓塔の隣に空海を顕彰する碑「弘法大師空海大師越州碑縁起」を建立した。この碑文については靜慈圓氏の友人である林宏作も関わった。これを記念するとともに、中國で弘法大師、高野山學をより知ってもらうため、西湖畔にある「浙江西湖美術館」において「靜慈圓書畫個展」が開催された。展示會は、2010 年6月11 日から一週間、中國「西泠印社」の協力を得て、西泠印社、浙江省國際美術交流協會、浙江西湖美術館、毎日新聞社の後援を受け、4000 人近くの日中関係者が來場した。

「和華人物」空海之路開創者ー高野山第519世法印靜慈圓(一)

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現地(中國・嵊州市)で行われた王羲之の末裔が參列

しての建立式典。

石碑にかかっていた深紅の幕を外すと、靜慈圓の書による石碑がお目見えした。

「和華人物」空海之路開創者ー高野山第519世法印靜慈圓(一)

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個展は多くの中國人で賑わい、入場者は延べ3600人以上を記録した。

靜慈圓の仏畫作品に見入る入場者。多くがその迫力に圧倒されていた。

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